そこに君はいない

 ブラ君が亡くなって、4週間が経ちました。もうブラ君が家にいないことは受け入れていて、家に帰ってきた時、朝起きた時にブラ君がいないとと思うことは無くなりました。それでも彼を失った悲しみはまだまだ癒えそうにありません。

それでも立ち止まるわけにもいかず、先週は忙しく動いていました。

レーバーデイの祝日は、前に住んでいた州(そこでブラくんをアダプトした)の綺麗なレイク沿いをゆっくりブラ君とハイキングするつもりで計画していました。そのブラ君がいない。迷ったのですが、予定は空いたまま。一人ですが行ってきました。

と言っても、車でわずか1時間強の距離です。大したことはありません。

そこにはパンデミック中の一年住んでいて、アパートですが、海のように大きい湖に面していて、毎日の散歩はレイク沿い。週末はじっくりちょっと長めのコースをいつもブラ君と散歩していました。

一人で歩くと挫けそうな気がしたので、家から自転車を持って行って、サイクリングにしました。

ブラ君とは、トレーニングでベンチを見るとおやつをあげてお座りすることを毎日していたので、綺麗なレイクが望めるお気に入りのベンチスポットがあります。そこでは自転車を止めてじっくりブラ君と会話しました。

ふと、ブラ君が近くにいるような感じで、すごく心に響いてきて思ったのは、ブラ君は、今の私の家にはもういない。なぜかわかりませんが、この前に住んでいたレイク沿いにものすごくブラ君を感じたのです。家では泣いてばかりだったのですが、ここに来て、ブラ君はちゃんと幸せに天国に行けたんじゃないかと、そういう気持ちになれました。




この散歩を終えて、今住んでいるアパートに戻ったら、どうしてだかわかりませんが、家にブラ君がいないことが、あまり辛くなかったのです。

祭壇にもあらためて、写真をちゃんと飾ったり、以前より整えることができました。これまでは、写真見て辛すぎて、祭壇をちゃんとする気力もありませんでした。

もう一つは、Pet Grieving Groupに参加しました。バーチャルですが、ビデオ会議的な形式で、グループでそれぞれの紹介をして、カウンセラーのリードのもと、1時間半気持ちを共有します。

これに参加して一人ではないと思えたし、ブラ君みたいに3歳で死んじゃって私は可哀想みたいな悲壮感は少し無くなりました。みんな辛いのは一緒。老犬で、病気で亡くなったり、アメリカは特にQuality of Lifeを重要視して安楽死させるのは一般的なので、それで罪悪感に悲しんでいたり、アダプトしたワンちゃんがどうしようもなくて泣く泣く別の家庭に引き取ってもらったりと、本当にみんな様々な状況で苦しんでいました。辛いのは一緒です。これまでも色々読んだりしてわかってはいましたが、こうして同じ場所で共有しあえるというのは私にはとてもいい経験でした。

アメリカは、こうした活動はさまざまなところで行われています。ここを見つけたのは、ブラ君が亡くなった時にお世話になったペットERのくれたフォルダーにその情報が入っていて、しばらくは何も手につかなくて放っておいたのですが、勇気を出して登録しました。

さて、今週末は、別のシェルターでのボランティアなので、またご報告します。




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